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野球界の偉人④(別当薫、西沢道夫、小鶴誠)

 

80年を超えるプロ野球の歴史には、数々の偉大な選手たちが存在します。
これからも語り継がれるべき、それぞれの時代を代表するスターの紹介第4弾です。
 

 

 

 

別当薫(大阪タイガース - 毎日オリオンズ)

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・プロ野球選手とは思えないほど知的な印象から「球界の紳士」と呼ばれた選手。
・藤村富美男とともに、大阪タイガースの「ダイナマイト打線」の一翼を担った。
・1950年には43本塁打・105打点で本塁打王・打点王の二冠に輝く。さらに同時に打率.335、34盗塁も記録し日本初となるトリプルスリーを達成。パ・リーグの初代MVPを獲得し、この年に行われた第一回日本シリーズでも初代MVPに選ばれている。
・1951年7月26日の近鉄戦では、二盗、三盗、本盗を連続して成功させるパーフェクトスチールを達成。
・引退後は監督・コーチ・フロントと様々な職を歴任し、山内一弘榎本喜八土井正博松原誠田代富雄といった錚々たる強打者たちを育て上げた。
・監督としては優勝には全く縁がなく通算1000勝を達成しながら優勝を果たせなかった唯一の人物である。

 

 

 


西沢道夫(名古屋軍 - ゴールドスター - 中日ドラゴンズ)

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・中日ドラゴンズの永久欠番15
初代ミスタードラゴンズと呼ばれた選手である。
・15歳で入団し「16歳と4日」でデビューを果たした。
・投手としては20勝、野手としては46本塁打(一人で20勝・40本塁打を記録した唯一の選手)を記録するなどプロ野球黎明期の中日を代表する選手である。
・1942年5月24日には大洋の野口二郎と延長28回を投げ合い、311球で完投している。(※世界最長完投記録
・戦争で肩を壊し、1946年シーズン途中にゴールドスター(金星)への移籍と同時に野手へ転向する。この際、別当薫の打撃を参考にしたとされている。
・1949年に中日へ復帰し、1950年には日本記録となる満塁本塁打シーズン5本を含む46本塁打・135打点を記録した。
・1952年には打率.353、98打点で首位打者・打点王の二冠を獲得し、1954年にはチームの初優勝・日本一に貢献した。

 

 

 


小鶴誠(名古屋軍 - 急映フライヤーズ - 大映スターズ - 松竹ロビンズ - 広島カープ)

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・1950年に記録した161打点143得点376塁打NPBシーズン記録である。
・八幡製鉄所から「大学に進学したい」と偽って退社し、1942年に飯塚誠という偽名で名古屋軍に入団。
・美しい打撃フォームと、面長で鼻筋の通った風貌から「和製ディマジオ」と呼ばれた。
・松竹ロビンズでは「水爆打線」と呼ばれた強力打線の中心を担った。
・1950年には、打率.355、51本塁打、161打点、28盗塁を記録し本塁打王・打点王の二冠とベストナインに加えてシーズンMVPを獲得する大活躍でチームのリーグ優勝に貢献。
・「ゴルフスイング打法」(低いか前から腰の回転による遠心力を利用するダウンスイング)によって日本初のシーズン50本塁打を達成。この際に生まれた「ボールが止まって見えた」という名言は、記者から当時弱小球団であった松竹では話題にならないとされ、川上哲治のものとねつ造された。

 

 

 

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