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野球の記録がここにある

ここだけでしか見ることができない野球に関する様々な記録やデータ、歴史などを紹介します!(2017年4月からは毎日18時更新!)

野球界の偉人⑨(三宅秀史、小山正明、仰木彬)

 

80年を超えるプロ野球の歴史には、数々の偉大な選手たちが存在します。
これからも語り継がれるべき、それぞれの時代を代表するスターの紹介第9弾です。
 

 

 

 

三宅秀史(阪神タイガース)

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・2004年に金本知憲に更新されるまで、連続フルイニング試合出場の日本記録保持者であった。
・現役時代は名三塁手として知られ、ショートの吉田義男、セカンドの鎌田実と組んだ内野陣は史上最強とも言われていた。
・試合前の練習中にキャッチボールの逸れた球が左目に直撃し、視力が大きく低下。フルイニング試合出場記録も700試合で途絶えてしまった。



小山正明(阪神タイガース - ロッテオリオンズ - 大洋ホエールズ)

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・現役時代の通称はミスターコントロール投げる精密機械などと呼ばれた。その通称どおり現役時代は"針の穴を通す"と言われた絶妙な制球力と抜群なスタミナで歴代3位の通算320勝を挙げている。
・1952年にテスト生として阪神タイガースに入団。同期には吉田義男や三宅秀史がいる。
天覧試合で先発を務めた(7回途中4失点)。この頃にパームを習得している。
・「世紀のトレード」で山内一弘との大型トレードによりオリオンズへ移籍。
・1970年に史上初の両リーグ100勝を達成。
・通算では歴代3位の320勝の他、通算先発試合数583(歴代2位)、先発勝利数273(歴代2位)、無四球完投73(歴代2位)と多くの記録を持っている。
・ノーヒットノーランを達成したことはないが1安打完封を5度記録しており、その内1956年6月6日の大洋戦では初回先頭打者の沖山光利にヒットを打たれた後に残りの27人をノーヒットに抑え完封勝利。オリオンズ移籍後の1965年7月15日の阪急戦では、無安打のままで迎えた9回2死からウインディにヒットを浴び、ノーヒットノーランを逃している。



仰木彬(西鉄ライオンズ)

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・昭和30年代の西鉄ライオンズ黄金期に活躍したプロ野球選手であり、近鉄、オリックスを率いる監督として選手の個性と自主性を尊重した抜擢と仰木マジックと呼ばれた独自の魔術を駆使した。また、二軍で燻っていたイチローの才能を見出し、世界的大選手として飛躍させた稀代の名称である。
・1954年に投手として入団も三原マジックとして即セカンドへとコンバートされる。これが功を奏し、一年目からレギュラーに定着し好守備により西鉄黄金時代の内野陣を支えた。
・1955年5月22日のトンボユニオンズ戦で、パ・リーグ記録となる1試合6安打を記録。
・引退後は20年に渡って裏方に徹していたが、1988年に近鉄の監督に就任すると「いてまえ打線」と呼ばれた強力打線を率いて、開幕前の下馬評を覆し優勝争いのデッドヒートを繰り広げた。(最終的には「10.19ダブルヘッダー」に敗れ優勝を逃す。)
・1989年は前年の屈辱を糧に激戦を展開し、2位のオリックスと1厘差で優勝を果たす。しかし、日本シリーズでは巨人に3連勝後4連敗を喫し、近鉄初の日本一を逃した。
・1989年ドラフトで獲得した野茂英雄についても、未知数からこそまず使うというコペルニクス的発想で起用し続けた。(「未知の才能を開花させる」能力については三原脩から受け継いだマジックの一つといえる。)
・1994年にオリックスの監督に就任し、2軍にいた当時無名のイチローや田口壮を1軍に抜擢し、素質を開花させた。