梶本隆夫(阪急ブレーブス)
・通算254勝を挙げ、弱小時代の阪急を支えた大投手。
・1954年に阪急へ入団し、高卒新人ながら開幕投手を務める。この年はオールスターファン投票1位にも選出され、シーズン20勝も記録。しかし、新人王は26勝を記録した宅和元司に譲った。
・1957年には南海戦で9者連続奪三振を達成。
・1959年6月12日の近鉄戦では9回2死までノーヒットに抑えるも最後の打者である関森正治にヒットを打たれ大記録を逃した。
・1963年5月12日に当時の監督であった西本幸雄は、打線の奮起を期待して梶本を「3番ピッチャー」で先発起用した。この試合終了後に行われた東映との第二試合では「3番ファースト」で再び起用した。
・1966年には防御率3.68ながら打線と中々かみ合わず、シーズン15連敗という記録を樹立してしまう。(この年の最終成績は2勝15敗。)翌1967年は初戦で敗戦投手となり、連敗記録を16に伸ばしてしまう。
・通算成績は254勝255敗と名球会に所属する投手ではただ一人負け越している。
・200勝投手でありながらタイトル獲得は一度もない。(当時表彰規定のなかった最多奪三振は2度ある。)
・一塁手として6試合、外野手として6試合に出場し、通算13本塁打に加えて敬遠も2度記録している。
杉浦忠(南海ホークス)
・日本プロ野球屈指のアンダースローピッチャー。
・立教大学で長嶋茂雄と同期。
・1959年には、371回1/3を投げ、38勝4敗、防御率1.40、奪三振336と驚異的な数字でチームを優勝に導く。この年の日本シリーズ(vs 巨人)では4連投(3先発、1リリーフ、2完投うち1完封)4連勝を挙げてMVPに選ばれる。(計32イニング)
・上記以降も数年は活躍を見せたが、右腕の動脈閉塞や膝に水が溜まるなど故障に苦しみ、年々成績は下降していった。
・通算成績は187勝106敗、1756奪三振、防御率2.39。そのうち164勝を最初の7年で挙げており、「太く短く」を体現した選手であった。
長嶋茂雄(読売ジャイアンツ)
・言わずと知れた「ミスタープロ野球」。
・現在は株式会社読売巨人軍専務取締役終身名誉監督である。
・巨人軍の永久欠番「3」。(関連情報:永久欠番)
・新人王、MVP5回、首位打者6回(セ・リーグ記録)、本塁打王2回、打点王5回、ベストナイン17回(入団から引退まで全シーズン受賞)、ゴールデングラブ賞2回、日本シリーズMVP4回(史上最多)、オールスター通算打率.313(150打席以上で歴代1位)。そして、史上唯一、公式戦・オールスター・日本シリーズの全てで通算打率3割以上を記録している。
・1959年6月25日の天覧試合(vs 阪神)で村山実からサヨナラホームラン、監督時代の1996年には首位広島と11.5ゲーム差からの逆転優勝劇(メークドラマ)など数々の記憶に残る名場面をつくった。