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野球界の偉人⑮(森祇晶、米田哲也、権藤博)

 

80年を超えるプロ野球の歴史には、数々の偉大な選手たちが存在します。
これからも語り継がれるべき、それぞれの時代を代表するスターの紹介第15弾です。
 

 

 

森祇晶(巨人)

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・現役時代は正捕手として巨人のV9を陰ながら支えV9の頭脳と称された。
・監督としては、1986年から1994年まで在籍していた西武では在任9年でリーグ優勝8回日本一6回を果たした名称である。

 

米田哲也(阪急)

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・1950年代末期から1970年代半ばにかけてパ・リーグで活躍したガソリンタンクの異名を持った本格派右腕。
・高卒以来15年連続200投球回(うち6回は300投球回)と驚異的なほど投げたにも関わらず、肘や肩を壊したことがない。
通算626試合先発(歴代1位)、通算949試合登板(歴代1位)、通算5130投球回(歴代2位)、19年連続二桁勝利(歴代1位)、通算350勝(歴代2位)、通算285敗(歴代2位)、通算1940失点(歴代1位)、通算1659自責点(歴代1位)、通算被安打4561(歴代1位)など数々の記録を持っている。

 

権藤博(中日)

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・プロ入りした1961年、初登板で9回1失点の完投勝利を果たす。5月28日~6月4日には6連投するなど早くもエースの座を射止めたものの、6月初めには肩痛を発症し調子を落としてしまう。しかしその後梅雨入りすると雨で試合が中止になることが多くなり、これが権藤にとっては貴重な休養期間となる。休養を得た権藤は6月24日に11回1失点で完投勝利すると、雨の影響で次の登板が7月1日までずれ込み、7月4日から15日までの期間は雨か移動日か権藤先発という事態となり、この状態を表した権藤、権藤、雨、権藤という流行語が生まれた。最終的にこの年は、69試合に登板し429回1/3を投げ、35勝(新人記録)、防御率1.70、310奪三振で新人王・沢村賞を同時受賞した。
・1962年も61試合362回1/3を投げ、30勝で2年連続の最多勝に輝くが、この2年の登板過多により権藤の肩は限界を迎えてしまい、1963年は10勝、1964年はわずか6勝に終わってしまう。
1965年からは打者へと転向し、1967年には最多犠打を記録したうえにサヨナラホームランを放つなどの活躍を見せるもののレギュラーに定着することはできなかった。
・1968年に再び投手に戻るものの、かつての球威は戻らずこの年限りで引退することとなった。

 

 

 

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