野球の記録がここにある

野球に関する歴史や基本的な記録から知られざる記録まで、ありとあらゆる野球の情報を紹介します!

覚えててほしい名選手② ~G.G.佐藤外野手~

 

80年以上の歴史を持つプロ野球では数々のスターが登場してきました。

そこで、この記事では私が個人的に是非覚えててもらいたい名選手を紹介していきます。

 

第2弾はその名前だけでなく個性的なキャラクターで人気を博したG.G.佐藤外野手です。

 

 

目次

 

プロフィール

登録名:G.G.佐藤(じーじーさとう)

本名:佐藤隆彦(さとうたかひこ)

出身地:千葉県市川市

生年月日:1978年8月9日

身長:184cm

体重:98kg

投打:右投右打

主なポジション:外野手、一塁手

プロ入り:2003年ドラフト7巡目

出身校:桐蔭学園高校

出身大学: 法政大学

 

個人成績

f:id:pekitarin:20170409223333p:plain

 

受賞歴

・月間MVP:2回(2008年5月、2009年9月)

 

その他の記録

・オールスター出場:1回(2008年)

 

経歴

・小学校時代からリトルリーグで野球を始める。この時のチームには相川亮二も属していた。

・中学校時代は野村沙知代がオーナーを務めていた「港東ムース」に所属。

・大学卒業後は、フィラデルフィア・フィリーズの1Aに入団。内野手としてプレーしていたが強肩を生かすため捕手にコンバートされる。

・帰国後に西武の入団テストで伊東勤監督の目に止まり、2003年にドラフト7巡目で入団。

・1年目は捕手登録ながら、主に一塁手・DHとして45試合に出場し、打率.298、3本塁打、8打点を記録。8月には3番・DHとしても出場を果たした。

・2年目からは打撃に専念するため内野手登録となるが、この年の後半からは外野手へとコンバートした。二軍では打率.372、13本塁打と好成績を残すも、一軍では前年よりほぼ全ての項目で成績を落としてしまう。

・3年目からは正式に外野手登録となる。プロ入り3年で捕手・内野手・外野手の3通りで登録され、「(少しずつ外に近づいているため)来年はスタンドに行ってしまわないように気をつけます。」とコメントしている。この年は自身初の開幕スタメンを勝ち取り、シーズン序盤は打率4割を超える猛打を見せる。しかし、好調は長続きせず、打率も.250程度まで落としてしまうと6月には二軍降格。その後も序盤の勢いを取り戻すことはできなかった。

・4年目は前年に続き、オープン戦でのアピールに成功し2年連続で開幕1軍を掴み取ると、開幕戦から2試合連続で本塁打を記録する。4月28日にはヒーローインタビューの際に、ファンを愛し、ファンから愛される選手になりたい。との思いから「愛の波動砲G.G.佐藤」という自身のキャッチフレーズを宣言した。この年は最終的に初めて規定打席に到達し、打率.280、25本塁打、69打点という好成績を残した。守備でも失策0でリーグ4位の捕殺7を記録するなど安定感を見せた。

・5年目は、4月に自身初のサヨナラ本塁打、当時のプロ野球タイ記録となる6試合連続二塁打を達成するなど開幕から好調。5月は更に調子を上げ、月間成績で打撃主要3部門リーグトップ(打率.389、9本塁打、23打点)の記録を残し、初の月間MVPを獲得した。この5月には2日にまたいでの3打席連続本塁打も記録している。また、開幕からの猛打が評価され、オールスターファン投票・選手間投票ともに両リーグトップの得票数を獲得した。

この年は、夏に開催された北京五輪の日本代表に選出される。成績は7試合に出場し、20打数4安打、2二塁打、1本塁打、2打点。守備では慣れない左翼守備で痛恨の3失策を犯してしまうなど実力を発揮することができなかった。

シーズンとしては、五輪出場の特別措置で規定打席に到達し、自身初の打率3割越え(.302)、21本塁打、62打点を記録。守備ではシーズン通して失策は僅かに1つ、捕殺は前年を上回る9個を記録した。

・6年目には4月に第一子となる長女が誕生。前半戦は波に乗れなかったものの、9月には打率.400、9本塁打を記録して自身二度目の月間MVPを獲得。

最終的には、打率.291、自己最多タイの25本塁打自己最多の83打点を記録した。

・7年目からは、メインのポジションが左翼手となる。オープン戦は首位打者になるなど好調であったが、打率が2割前後を行き来するなど低迷し、7月2日に二軍降格するとそのまま一軍に昇格することなくシーズンを終えた。

・8年目はチームの若返りに伴い、一度も一軍昇格することなくシーズンを終え、その後、戦力外通告を受ける。

・2012年からはイタリアのボローニャでプレイし、一定の成績は残したものの8月に解雇される。その後、9月からは富山のクラブチームで約2ヶ月の間、選手兼コーチとして所属。11月には、翌年からロッテの新監督として西武時代の恩師・伊東勤の就任が決まったのを機に秋季キャンプへ参加。その中で入団テストを経て、プロ野球界復帰が決まった。

・復帰1年目の2013年は、開幕一軍を掴み、3月30日のオリックス戦で復帰後初ヒットを記録。8月には楽天戦で復帰後初本塁打となる満塁本塁打を記録した。また、ポストシーズンでは楽天とのCSファイナルステージ第4戦で一時逆転となる3ランを放つなど活躍。しかし、チームの日本シリーズ出場にはつながらなかった。ちなみにこの年にリーグ戦で放ったヒット13本の内、半数以上となる7本は長打(5二塁打、2本塁打)であり、十分に持ち味を発揮した。

・2014年は出場機会に恵まれず一軍出場無しとなり、戦力外通告を受け現役を引退した。

 

 

 

関連記事もどうぞ。

 

トップページ