80年を超えるプロ野球の歴史には、数々の偉大な選手たちが存在します。
これからも語り継がれるべき、それぞれの時代を代表するスターを紹介します。
目次
黒沢俊夫(名古屋金鯱軍 - 大洋軍 - 東京巨人軍)
・巨人の永久欠番「4」。
関連ページ:永久欠番 - 野球の記録がここにある
・巨人初のトレード獲得選手。
・ロイド眼鏡を中指で押し上げながら打席へ。
・1944年5月に近畿日本(南海ホークス)戦で史上初の1試合2本盗を記録(日本タイ記録)。
・腸チフスによって現役選手のまま永眠し、「私が死んだら巨人軍のユニホームのまま葬ってほしい」との遺言どおり球団葬が実施された。
通算成績:484試合、459安打、打率.259、7本塁打、201打点
景浦将(大阪タイガース)
・元祖「二刀流」(三塁兼外野兼投手)。
・沢村栄治のライバル。
・1936年発足したばかりの大阪タイガースへ入団。
・1936年秋季、6勝0敗、防御率0.79を記録。勝率1.000は日本記録。
・1937年春季には打点王を獲得し、投手としても11勝、防御率0.93を記録。
・1937年秋季には首位打者、1938年春季には二度目の打点王に輝いた。
・その後は手榴弾の投げ過ぎにより肩を痛めてしまい、一塁手へとコンバートされた。
通算成績(打撃):323試合、307安打、打率.271、25本塁打、222打点
通算成績(投手):56試合、防御率1.57、27勝9敗
獲得タイトル:首位打者 1回、打点王 2回、最優秀防御率 1回、最高勝率 1回
藤村富美男(大阪タイガース)
・初代「ミスタータイガース」。
・阪神の永久欠番「10」。
・「物干し竿」と呼ばれた通常のバットよりも長いもの(約94cm)を使用していた。
・長嶋茂雄が憧れた選手であり、藤村の影響で三塁手になったといわれている。
・日本プロ野球界初の本塁打王であり、シーズン本塁打数の日本記録を2度達成している。(1936年秋季:2本、1949年:46本)
・「ダイナマイト打線」の四番としてチームを牽引。
・1948年10月2日の金星戦でプロ野球界初のサイクルヒットを達成。
関連ページ:歴代サイクルヒット達成者① - 野球の記録がここにある
・三塁手としてシーズン刺殺209(日本記録)、捕殺484(セ・リーグ記録)、併殺60(セ・リーグ記録)、守備機会728(日本記録)を保持している。
・1956年には兼任監督に就任し、「代打ワシ」で代打逆転満塁本塁打も記録。
通算成績(打撃):1558試合、1694安打、打率.300、224本塁打、1126打点
通算成績(投手):76試合、防御率2.35、34勝11敗
獲得タイトル:首位打者 1回、本塁打王 3回、打点王 5回
表彰:最優秀選手 1回、ベストナイン 6回