80年を超えるプロ野球の歴史には、数々の偉大な選手たちが存在します。
これからも語り継がれるべき、それぞれの時代を代表するスターの紹介第3弾です。
吉原正喜(東京巨人軍)
・巨人軍最高の捕手ともいわれる伝説の捕手。背番号は「27」。
・熊本県出身で、熊本工業時代は川上哲治とバッテリーを組み、甲子園で準優勝。
・1年目から正捕手となり、退団するまでの4年間すべてで規定打席に到達。この間、巨人は4連覇している。
通算記録:339試合、261安打、打率.237、9本塁打、103打点
服部受弘(中日ドラゴンズ)
・中日ドラゴンズの永久欠番「10」。
・黎明期のプロ野球において、主に捕手・投手・三塁手といった複数のポジションで活躍した。
・1941年には8本塁打を放ち、本塁打王を獲得。
・1949、1950年には投手としてそれぞれ24勝、21勝と2年連続で20勝を達成。
・1952年8月2日の巨人戦では、2-5と3点ビハインドの6回表満塁の場面で代打に起用され、別所毅彦から逆転満塁ホームランを放ち、そのままマウンドに上がり勝ち投手になるという偉業を達成した。
(関連ページ:代打逆転満塁弾の後、リリーフし勝利投手 - 野球の記録がここにある)
・守備位置別出場は、投手259、捕手173、三塁手73、一塁手27、外野手22、二塁手1、ほかにも代打などで300試合に出場している。
通算記録(打撃):855試合、447安打、打率.239、33本塁打、208打点
通算記録(投手):259試合、防御率2.81、112勝65敗
獲得タイトル:本塁打王 1回
川上哲治(東京巨人軍)
・打撃の神様。球界のドン。
・「甲子園の土を持ち帰る」のを最初に行った人物とされている。
・低い弾道で弾丸のように鋭く飛んでいく打球は「弾丸ライナー」と命名された。
・1956年にプロ野球史上初の2000本安打を達成。(※1646試合での到達はNPB最速記録。)
・背番号「16」は巨人の永久欠番。
・「ボールが止まって見えた」という有名な名言は、実際には小鶴誠(松竹)の発言であった。
・監督を務めた14年間でリーグ優勝11回。その全てで日本一となっている。
通算記録(打撃):1979試合、2351安打、打率.313、181本塁打、1319打点
通算記録(投手):39試合、防御率2.61、11勝9敗
獲得タイトル:首位打者 5回、本塁打王 2回、打点王 3回、最多安打 6回
表彰:MVP 3回、ベストナイン 10回、日本シリーズMVP 1回、オールスターMVP 1回