80年を超えるプロ野球の歴史には、数々の偉大な選手たちが存在します。
これからも語り継がれるべき、それぞれの時代を代表するスターの紹介第20弾です。
長池徳士(阪急ブレーブス)
・阪急の4番として活躍し、引退後は多くの球団でコーチを務めた人物である。
・1969年に41本塁打101打点で初の本塁打王・打点王の二冠に輝き、野村克也の9年連続本塁打王を阻止した。
・1971年には当時の新記録となる32試合連続安打を記録した(のちに高橋慶彦が33試合連続安打で記録を更新)。
村上雅則(南海ホークス - サンフランシスコ・ジャイアンツ - 南海ホークス - 阪神タイガース - 日本ハムファイターズ)
・日本人初のメジャーリーガー。
・1964年に鶴岡一人監督が「若手に経験を積ませる」目的でメジャーのサンフランシスコ・ジャイアンツのスプリングキャンプへ村上と高橋博、田中達彦の3名を送り込む。村上は1Aでリリーフとして49試合11勝7敗、防御率1.78の好成績を残すと、当時ジャイアンツの監督であったアルビン・ダークから「優秀な左投手はいないか」との依頼に推薦されるかたちで、2A・3Aを経ずにメジャー昇格という前代未聞の偉業で日本人初のメジャーリーガーとなる。
・メジャーに昇格した1964年の成績は、9試合1勝0敗1セーブ、防御率1.80であった。
・1965年は、45試合4勝1敗8セーブ、防御率3.75の成績を残す。6月29日にはメジャー初安打を記録。終戦記念日である8月15日には「村上デー」として唯一の先発登板を果たした。
大杉勝男(東映フライヤーズ - ヤクルトスワローズ)
・通称として「月に向かって打った男」、「かすみ草」などがある。
・1970年に44本塁打129打点で自身初の本塁打王・打点王の二冠を獲得。この年は打率も.339と好成績を残したものの、張本勲が当時の日本記録となる打率.383を記録したため首位打者を獲得することはできず三冠王を逃した。
・1971年は5月3日のロッテ戦で世界記録となる5者連続本塁打の5人目の打者として本塁打を放つ。
・1974年オフには、内田順三・小田義人とのトレードでヤクルトスワローズへ移籍。
・1983年には両リーグ1000本安打を達成。両リーグ200本塁打にもあと1本と迫っていたが、持病の不整脈の悪化や夫人が入院生活を送っていたこともあり現役引退を決意。引退試合のあいさつでは「あと1本と迫っております両リーグ200本塁打、この1本を皆様の夢の中で打たして頂きますれば、これにすぐる喜びはありません」との名言を残した。
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