80年を超えるプロ野球の歴史には、数々の偉大な選手たちが存在します。
これからも語り継がれるべき、それぞれの時代を代表するスターの紹介第23弾です。
星野仙一(中日ドラゴンズ)
・1968年の「史上空前の大豊作ドラフト」において1位指名で中日ドラゴンズに入団。
・1974年には初代最多セーブと沢村賞を受賞し、巨人のV10阻止と中日20年ぶりのリーグ優勝に貢献するなど主戦投手として活躍。
・通算記録は実働14年で500試合146勝121敗34セーブ、防御率3.60である。ONを擁し、黄金時代を誇った読売ジャイアンツ相手に35勝31敗で勝ち越すなど巨人キラーとして名を馳せた。
・監督としては中日では生え抜き監督として史上唯一のリーグ優勝へ導き、阪神でも2003年に18年ぶりの優勝、楽天でも球団史上初の優勝&日本一を果たした名将である。
山崎裕之(東京オリオンズ - 西武ライオンズ)
・1968年にショートとして1試合10刺殺の日本記録を達成。
・1971年には当時の日本記録となる6試合連続二塁打(のちに金子誠が7試合連続で更新)、史上25人目のサイクルヒットを達成。
・1980年、1983年に1イニング2本塁打、1イニング8塁打の日本記録を2度達成している。
・1983年9月18日のロッテ戦で三塁打を放ち2000本安打を達成。
・1964年の9月に地元の上尾市内で東京オリンピックの聖火ランナーを務めた。
山本浩二(広島東洋カープ)
・通称「ミスター赤ヘル」と呼ばれた名選手。
・高校時代はエースとしてチームを牽引し、大学進学と同時にライトへコンバートした。
・プロ入り後付けた背番号「8」はカープの永久欠番である。
・ゴールデングラブ賞を外野手として通算10回受賞、10年連続受賞はともにセ・リーグ記録である。
・1977年から5年連続40本塁打を記録。この記録を持つのは王貞治と山本のみである。
・1978年は44本塁打で自身初・球団初の本塁打王に輝く。
・1979年は113打点で自身初・球団初の打点王に輝く。
・衣笠祥雄との500本塁打コンビはYK砲と呼ばれ、王と長嶋とのON砲(106本)に次ぐ歴代2位(86本)のアベック弾を記録している。
・1985年には史上2人目の通算500本塁打&200盗塁を達成。この記録を達成しているのは張本勲、山本、衣笠の3人だけである。
・1973年から1986年にかけて14回オールスターに出場し、2度MVPを受賞している。オールスターでの通算成績も打率.316(歴代3位)、14本塁打(歴代1位)、27打点(歴代3位タイ)と主要三部門全てで3位入りするなどお祭り男としても活躍した。
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