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野球界の偉人⑤(大下弘、杉下茂、根本陸男)

 

80年を超えるプロ野球の歴史には、数々の偉大な選手たちが存在します。
これからも語り継がれるべき、それぞれの時代を代表するスターの紹介第5弾です。
 

 

 

 

大下弘(東急フライヤーズ - 西鉄ライオンズ)

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終戦直後の日本プロ野球界に颯爽と現れたスター
青バットの大下弘として高い人気を誇った。
・打球を遠くにポンポンと飛ばす様から「ポンちゃん」と呼ばれた。
・当時23歳で無名であった大下は「東西対抗戦」で衝撃的なデビューを果たす。計4試合で15打席8安打、1本塁打(戦後初の本塁打)、11打点の大活躍で「ホームラン賞」、「殊勲賞」、「最優秀選手賞」と全ての賞を独占した。
・1949年11月19日に甲子園で行われた太陽(松竹ロビンズ)戦にて、今なお日本球界史上唯一の記録である7打数7安打を記録。
・1951年に記録した打率.383は、のちに張本勲に破られるまでの日本記録であった。



杉下茂(中日ドラゴンズ - 大毎オリオンズ)

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フォークボールの神様(日本初のフォークボーラー)。
・試合では肩・肘への負担を考慮して、多くても一試合で5~6球しかフォークを投げなかった
・1954年の日本シリーズ(vs 西鉄)では、1、2、4、5、7戦目で登板し、シリーズ4完投を記録した(日本シリーズタイ記録)。



根本陸夫(近鉄パールス)

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球界の寝業師の異名で呼ばれた人物。
・西武、ダイエーで実質的なGMとして辣腕を振るい、その手腕は「根本マジック」と呼ばれた。
・広島が「広島東洋カープ」となった1968年に監督に就任し、この年3位となり、カープ初のAクラス入りを果たす。
・西武ではドラフトで6球団競合となった清原和博を引き当てた。
・1993年オフにダイエーの監督に就任し、佐々木誠・村田勝喜・橋本武広を放出して、西武から秋山幸二・渡辺智男・内山智之を獲得する「世紀のトレード」を敢行した。
 
 
 
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