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覚えててほしい名選手① ~金子誠内野手~

 

80年以上の歴史を持つプロ野球では数々のスターが登場してきました。

そこで、この記事では私が個人的に是非覚えててもらいたい名選手を紹介していきます。

 

第1弾は日本ハムファイターズで長く内野の要として活躍した金子誠内野手です。

 

 

 

 

 

 

 

プロフィール

出身地:千葉県我孫子市

生年月日:1975年11月8日

身長:185cm

体重:84kg

投打:右投右打

主なポジション:遊撃手、二塁手

プロ入り:1993年ドラフト3位

出身校:常総学院高校

 

 

 

個人成績

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受賞歴

・新人王(1996年)

・ベストナイン:1回(二塁手部門:1999年)

・ゴールデングラブ賞:3位(二塁手部門:1998年・1999年、遊撃手部門:2009年)

・月間MVP:1回(2009年4月)

 

 

 

その他の記録

・7試合連続二塁打(プロ野球記録

・5年連続守備率1位(二塁手としてのパ・リーグ記録

・オールスター出場:3回(2002年・2004年・2009年)

・1試合5三振(プロ野球記録

 

 

経歴

・(高校時代の本から情報追加)高校時代は名門・常総学院でショートとして春夏通じて3度の甲子園出場を果たす。

・1993年に日本ハムからドラフト3位指名を受け高卒でプロ入り。

・2年目の1995年に代走で一軍初出場を果たす。その後、プロ初先発した試合でプロ初ヒットを記録。

・3年目の1996年にはセカンドのレギュラーを奪取し、新人王を獲得。この年に記録した38犠打はリーグ最多記録であった。盗塁数も15個に対し、失敗はわずか2つと高い成功率(88%)を記録した。

・1997年は自身初の二桁本塁打(12本)を記録するなど、ほぼ全ての部門で前年を上回る成績を残し、実質「2年目のジンクス」を感じさせない活躍を見せた。またセカンドとしてはリーグ最高の守備率.986を記録した。

・1998年は前年の成績から軒並み数字を落としたが、三振率を下げ、四球率を上げるなど打席内容に改善が見られた。守備面では相変わらずの好守備で前年に続いてリーグ最高となる守備率.986に加え、同じくリーグ最多の260刺殺、364捕殺が評価され、自身初のゴールデングラブ賞を受賞した。

・1999年は自身初の全試合出場を達成。しかし、レギュラー定着後ワーストの3本塁打・4盗塁など打撃に関しては際立った成績を残すことが出来なかった。守備は例年通りの安定感でセカンドとしては3年連続で守備率1位、2年連続で刺殺・捕殺1位を記録した。また、この年はプロ入り初めてサードでの出場も記録した。

・2000年はレギュラー定着後初めて100安打を下回り(93安打)、自己ワーストとなる打率.231を記録してしまう。しかし、自身2年ぶりの二桁盗塁(12個)をマークし、成功率も75%と機動力においてはまずまずの成績を残す。守備面では4年連続リーグ守備率1位となり、捕殺も3年連続で1位となった。

・2001年は2年ぶりに全試合出場を果たすとともに前年までの不振から盛り返し、二塁打と打点については自己最高を記録するなど打撃成績を軒並み向上させた。得意の守備においては、二塁手のパ・リーグ記録となる5年連続守備率1位を達成した。

・2002年は長年ショートのレギュラーを張っていた田中幸雄がサードへコンバートされたことにより、金子もショートへとコンバートする。この年は安定した打撃で自己最高となる打率.285を記録し、初のオールスター出場も果たしている。また、慕っていた片岡篤史が阪神へ移籍したことから背番号8を受け継ぐ。

・2003年はレギュラー定着後初めて規定打席到達を逃すなど全体的に成績を落としてしまう。

・2004年はアテネオリンピックの日本代表に選出される。リーグ戦においてはプロ入り通算1000試合出場を達成。守備面では遊撃手として1試合最多記録となる11捕殺を記録した。しかし、打撃は前年に続き低調で規定打席に到達することができなかった。

・2005年は新外国人アルモンテにレギュラーを奪われ、開幕二軍スタートとなる。しかし、アルモンテが不振に陥るとレギュラーへと復帰を果たした。この年はプロ入り通算1000本安打を達成したものの、序盤の出遅れが響き、一軍定着後初めて出場が100試合に満たなかった。

・2006年は選手会会長に就任。自身4年ぶりの100安打を記録し、守備でもショートへコンバート後初めて守備率(.983)、刺殺(198)、捕殺(391)、併殺(90)でリーグ1位を記録するなどチームのリーグ優勝・日本一に貢献した。この年のプレーオフから浅葱色のリストバンドを着用し始める。

・2007年は主将に就任。この年は主に九番を務めたが、他の野手陣が不調だったこともあり、一時はクリーンアップも担った。打率はリーグ最下位の.243ながらチーム3位の53打点を記録するなど勝負強さを見せた。8月には史上27人目の通算200犠打を達成。守備面では2年連続で遊撃手としてリーグ1位の守備率を記録した。

・2008年は8月に通算1500試合出場を達成したものの、年間通しては打撃不振とケガの影響で成績を大きく落としてしまう。しかし守備は相変わらずの安定感を誇り、3年連続で遊撃手リーグ1位となる守備率.995をマークした。

・選手会長・主将の座を下りて迎えるシーズンとなった2009年は、開幕から打撃絶好調で4月にはプロ野球新記録となる7試合連続二塁打を達成。この月は打率.423で自身初の月間MVPに輝いた。また、3度目のオールスター出場も果たしている。この年は年間通して好調を維持し、最終的には自身13年ぶりの2桁本塁打で最多となる14本塁打に加えて、自身初の打率3割も達成するなどプロ入り16年目にしてキャリア最高の成績を残した。守備においても遊撃手リーグ最多の捕殺数などが評価され、1999年以来自身3度目(遊撃手としては初)のゴールデングラブ賞を受賞した。オフには契約更改にて自身初の1億円越えを達成。17年目での達成は球団史上最も遅い記録であった。

・2010年は度重なる故障により前年から大幅に出場機会を減らし、守備においても遊撃手コンバート後としては自己ワーストの守備率を記録するなど不本意なシーズンとなってしまった。6月には史上12人目の250犠打を達成。

・2011年は前年の故障から飯山裕司や今浪隆博と併用が続き、この年も出場100試合を割ってしまう。4月にレフト線へのタイムリーツーベースで通算1500安打を達成

・2012年は3年ぶりに100試合以上の出場を記録したものの、1995年以来の本塁打0に終わる。

・2013年は若手の中島卓也やトレード移籍で加入した大引啓次の台頭により、一軍定着後ワーストの32試合出場に終わった。この年は2002年以来の二塁守備にも就いた。

・2014年は前年より更に出場機会を減らし、9月27日に現役引退を表明。20年の現役生活に幕を閉じた。

 

 

 

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