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野球界の偉人⑫(森徹、榎本喜八、古葉竹織)

 

80年を超えるプロ野球の歴史には、数々の偉大な選手たちが存在します。
これからも語り継がれるべき、それぞれの時代を代表するスターの紹介第12弾です。
 

 

 

 

森徹(中日 - 大洋 - 東京オリオンズ)

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・早稲田大時代は同級生で立教大の長嶋茂雄と共に4番として競い合い、アジア大会では長嶋を差し置いて4番に抜擢されたこともある。
・プロ一年目の開幕戦でホームランを放ちレギュラーに定着。同じくプロ入りしていた長嶋とタイトル争いを繰り広げたが、途中で病気により一時離脱したため、23本塁打79打点で長嶋の29本塁打92打点に及ばなかった。
・2年目はプロで唯一となる全試合出場を果たし、31本塁打87打点で本塁打王・打点王の二冠に輝いた。



榎本喜八(毎日オリオンズ - 西鉄ライオンズ)

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元祖安打製造機と呼ばれた選手。
・入団テストで毎日オリオンズに入団し開幕戦から五番を務める。高卒ながら一年目から活躍し新人王に選ばれる。(関連情報:高卒一年目野手の新人王
史上最年少1000本安打(24歳9カ月)2000本安打(31歳7カ月)を記録。
・王貞治を育てた荒川博の弟子であり、王は榎本にとって弟弟子であるとともに、早稲田実業の後輩でもある
・「絶対にボール球には手を出さない」と評された驚異の選球眼を持ち合わせていた。
・名球会に一度も出席していないため脱会扱いとなっている。
・「鉄腕」稲尾和久がライバルと認めたほどの大打者で、榎本を抑えるためにフォークをマスターしたという逸話もある。また、野村克也も「榎本ほど捕手として対戦したくない打者はいない」と述べている。



古葉竹織(広島カープ - 南海ホークス)

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広島カープを史上初の優勝及び日本一に導いた監督である。
・選手としては、ルーキーイヤーから開幕「2番ショート」で起用され、8月には金田正一からサヨナラホームランを放つなど活躍。
・1963年は打撃好調で初のオールスター出場を果たし、MVPも獲得。シーズンでは長嶋茂雄と激しい首位打者争いを繰り広げるも僅か2厘差でタイトル獲得を逃した。
・1969年に野村克也から「優秀な指導者になれる人やと思ったから南海に来てもらいたい」と説得され、トレードにて南海へ移籍。
・引退後は広島で守備コーチを務めていたが、1975年に当時広島の監督であったジョー・ルーツが指揮権を放棄して退団してしまう緊急事態により、球団からの要請で急遽監督へ就任。山本浩二や外木場義郎らの活躍により創設26年目にして球団初の優勝を果たした。
・1979年には南海から江夏豊を獲得し抑えに固定。高橋慶彦が33試合連続安打を記録するなど8月末からは一度も首位を譲らず2度目の優勝を果たす。日本シリーズでは、日本一をかけた第7戦4-3で1点リードの7回から江夏を投入。9回裏には伝説として語り継がれている「江夏の21球」で初の日本一に輝いた。

 

 

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プロ野球選手データ名鑑2017 (別冊宝島)

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