80年を超えるプロ野球の歴史には、数々の偉大な選手たちが存在します。
これからも語り継がれるべき、それぞれの時代を代表するスターの紹介第21弾です。
外木場義郎(広島東洋カープ)
・2リーグ制以降としては唯一3度のノーヒットノーランを達成した投手。
・プロ入り2戦目で阪神のエース・村山実と投げ合い、阪神打線を1四球のみに抑えてノーヒットノーランでプロ初勝利を記録。
・1968年9月14日の大洋戦では、16奪三振を奪う圧巻の投球で完全試合を達成(関連ページ:歴代完全試合達成者)。この年は21勝、防御率1.94で最優秀防御率を獲得し、球団初のAクラス入りに貢献した。
・1972年4月29日の巨人戦では、3度目のノーヒットノーランを達成。これは2リーグ制唯一の記録であり、1リーグ制を含めても沢村栄治と二人だけの快挙である。
・1970年8月26日の阪神戦で田淵幸一のこめかみに投球をぶつけてしまい、これをきっかけとして耳付きヘルメットが採用されることとなった。
高田繁(読売ジャイアンツ)
・プロ入り一年目から打率は3割を超え、盗塁は20個を記録するなど活躍し新人王に選ばれている。
・1970年には左翼手として全130試合に出場し、翌1971年は盗塁王を獲得。その後は打率が低迷し、1975年には張本勲を左翼手とするため高田は三塁手へコンバートされる。コンバート1年目にも関わらず、見事ダイヤモンドグラブ賞を受賞。外野手・内野手の両方でダイヤモンドグラブ賞を受賞した初めての選手である。
・1980年、中畑清の台頭や長嶋茂雄監督の退任に伴い、自身初のリーグ最多犠打を記録しながら現役を引退した。
有藤通世(ロッテオリオンズ)
・プロ入りから引退までロッテ一筋の「ミスターロッテ」と呼ばれた選手である。
・1年目の1969年は、「ミサイル打線」の4番として活躍した山内一弘が着けていた背番号8を与えられるなど大きな期待をかけられる。有藤はこの年からレギュラーに定着し、打率.285、21本塁打、55打点の成績を残し、新人王を獲得。
・1970年は打率.306、25本塁打、80打点でチームの優勝に貢献。1974年は日本シリーズで中日を下し日本一に貢献。このシリーズでは、MVPは弘田澄男に譲ったものの、打率.429で打撃賞、技能賞に輝いた。
・1977年には度重なるケガにより入団から8年続いていた20本塁打が途切れ16本塁打に終わったものの、打率.329で自身初の首位打者を獲得。
・1984年には三塁手の座を落合博満に譲る形で外野手にコンバートし、1985年には大卒選手としては史上初の2000本安打を達成した。
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