一試合でヒットを一本も打たれずに0点に抑え込む。
プロ野球の歴史上でも数少ないノーヒットノーランを達成した投手達を紹介します。(※完全試合達成者は除いています。)
目次
- 沢村栄治(東京巨人軍)
- 沢村栄治(東京巨人軍)※2回目
- ヴィクトル・スタルヒン(東京巨人軍)
- 石田光彦(阪急軍)
- 中尾輝三(東京巨人軍)
- 亀田忠(イーグルス)
- 浅野勝三郎(阪急軍)
- 沢村栄治(東京巨人軍)※3回目
- 三輪八郎(大阪タイガース)
- 石田光彦(阪急軍)※2回目
- 亀田忠(黒鷲軍)※2回目
- 中尾輝三(東京巨人軍)※2回目
- 森弘太郎(阪急軍)
- 西沢道夫(名古屋軍)
- 天保義夫(阪急軍)
- 藤本英雄(東京巨人軍)
- 別所昭(南海軍)
- 石丸進一(名古屋軍)
- 呉昌征(大阪タイガース)
- 梶岡忠義(大阪タイガース)
沢村栄治(東京巨人軍)
達成日:1936年9月25日
シーズン成績:15試合、防御率1.05、13勝2敗、投球回120回1/3、112奪三振(※1936年秋)
関連ページ:野球界の偉人②(鶴岡一人、ヴィクトル・スタルヒン、沢村栄治) - 野球の記録がここにある
沢村栄治(東京巨人軍)※2回目
達成日:1937年5月1日
シーズン成績:30試合、防御率0.81、24勝4敗、投球回244回、196奪三振(※1937年春)
ヴィクトル・スタルヒン(東京巨人軍)
達成日:1937年7月3日
シーズン成績:25試合、防御率1.53、13勝4敗、投球回147回1/3、92奪三振(※1937年春)
関連ページ:野球界の偉人②(鶴岡一人、ヴィクトル・スタルヒン、沢村栄治) - 野球の記録がここにある
石田光彦(阪急軍)
達成日:1937年7月16日
シーズン成績:23試合、防御率2.81、8勝6敗、投球回124回1/3、56奪三振(※1937年春)
中尾輝三(東京巨人軍)
達成日:1939年11月3日
シーズン成績:39試合、防御率2.61、12勝5敗、投球回224回、137奪三振
亀田忠(イーグルス)
達成日:1940年3月18日
シーズン成績:56試合、防御率1.77、26勝23敗、投球回456回2/3、297奪三振
浅野勝三郎(阪急軍)
達成日:1940年4月14日
シーズン成績:27試合、防御率1.63、11勝7敗、投球回181回1/3、49奪三振
沢村栄治(東京巨人軍)※3回目
達成日:1940年7月6日
シーズン成績:12試合、防御率2.59、7勝1敗、投球回79回1/3、31奪三振
三輪八郎(大阪タイガース)
達成日:1940年8月3日
シーズン成績:47試合、防御率1.51、16勝5敗、投球回226回2/3、112奪三振
石田光彦(阪急軍)※2回目
達成日:1940年8月22日
シーズン成績:43試合、防御率1.68、16勝13敗、投球回283回2/3、97奪三振
亀田忠(黒鷲軍)※2回目
達成日:1941年4月14日
シーズン成績:16試合、防御率3.11、6勝9敗、投球回113回、54奪三振
中尾輝三(東京巨人軍)※2回目
達成日:1941年7月16日
シーズン成績:41試合、防御率1.54、26勝9敗、投球回299回、179奪三振
森弘太郎(阪急軍)
達成日:1941年10月27日
シーズン成績:48試合、防御率0.89、30勝8敗、投球回333回1/3、85奪三振
西沢道夫(名古屋軍)
達成日:1942年7月18日
シーズン成績:35試合、防御率1.75、7勝11敗、投球回211回、52奪三振
関連ページ:野球界の偉人④(別当薫、西沢道夫、小鶴誠) - 野球の記録がここにある
天保義夫(阪急軍)
達成日:1943年5月2日
シーズン成績:34試合、防御率2.01、11勝16敗、投球回223回2/3、72奪三振
藤本英雄(東京巨人軍)
達成日:1943年5月22日
シーズン成績:56試合、防御率0.73、34勝11敗、投球回432回2/3、253奪三振
別所昭(南海軍)
達成日:1943年5月26日
シーズン成績:45試合、防御率2.25、14勝23敗、投球回319回1/3、128奪三振
石丸進一(名古屋軍)
達成日:1943年10月12日
シーズン成績:43試合、防御率1.15、20勝12敗、投球回311回1/3、91奪三振
呉昌征(大阪タイガース)
達成日:1946年6月16日
シーズン成績:27試合、防御率3.03、14勝6敗、投球回181回1/3、63奪三振
関連ページ:【通算記録】盗塁数トップ20 - 野球の記録がここにある
梶岡忠義(大阪タイガース)
達成日:1948年8月24日
シーズン成績:50試合、防御率2.54、26勝17敗、投球回367回2/3、124奪三振
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